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EST. 2026
戦略・戦術解説 | 日本のドクトリン解説(G)

「基盤的防衛力」という言葉は、51大綱の本文にない ― 日本の防衛構想50年を閣議決定の原文で読む

富士総合火力演習で射撃する陸上自衛隊の90式戦車
富士総合火力演習で射撃する陸上自衛隊の90式戦車(2018年8月26日、東富士演習場)。冷戦期に「北方の脅威」を想定して北海道に集中配備された戦車戦力は、歴代の防衛構想の見直しのたびに削減の対象となってきた。画像:米海兵隊 Pfc. Nicole Rogge撮影/パブリックドメイン(DVIDS)。

「基盤的防衛力構想」――戦後日本の防衛政策を語るとき、必ず登場する言葉である。1976年の「防衛計画の大綱」(51大綱)が打ち出し、以後34年間にわたり日本の防衛力整備を規定したとされる。ところが、51大綱の本文を実際に読むと、「基盤的防衛力」という言葉はどこにも出てこない。本文にあるのは「基盤的なものとする」という一句だけである。「基盤的防衛力」の名は同じ日に発表された防衛庁長官談話に登場し、今日よく引かれる定義文にいたっては、策定から16年後の1992年度版防衛白書が初出だという2。防衛大綱とは、閣議決定という国家の最高レベルの文書でありながら、その解釈が後から書き足され、上塗りされてきた文書でもある。本稿では、1976年から2022年の国家防衛戦略まで、日本政府が「防衛力」をどう定義し、どう書き換えてきたかを、閣議決定の原文を並べて読むことでたどる。そこには「脅威に合わせて防衛力を決めるのか、決めないのか」という一本の太い論争の線が、50年間ずっと走り続けている。

この記事の要点

  • 51大綱(1976年)の本文に「基盤的防衛力」の語はなく、名前は長官談話で、有名な定義文は1992年度版防衛白書で後から与えられた。
  • 構想の核心は「脅威の大きさから防衛力を導かない」という発想(脱脅威論)だが、策定過程では「小さな脅威への対抗」と読む立場との対立があり、両解釈の同居が34年の長寿命につながったとされる。
  • 2010年の22大綱が「基盤的防衛力構想によることなく」と明記して決別。以後、動的防衛力→統合機動防衛力→多次元統合防衛力と、防衛力の「呼び名」は約3〜5年ごとに更新されていく。
  • 2022年の国家防衛戦略は大綱そのものを廃止し、「相手の能力と新しい戦い方に着目した防衛力」を掲げた。半世紀を経て、防衛力の決め方は「脅威から導く」方式へ回帰したと読める。

前史 ― 5か年計画の行きづまりから「大綱」は生まれた

そもそも「防衛計画の大綱」という文書は、最初から存在したわけではない。1957年に「国防の基本方針」が閣議決定された後、日本の防衛力整備は「防衛力整備計画」と呼ばれる期限つきの計画で進められてきた。1957年の第一次から1972年の第四次まで、いわゆる一次防〜四次防である2。この方式は、目標とする防衛力の水準を仮想敵の脅威から積算する「所要防衛力」の考え方に立っていた。脅威が大きくなれば、必要な防衛力も大きくなる。明治以来の軍備計画と同じ、いわば自然な発想である。

ところが四次防で、この方式は行きづまる。当初、中曽根康弘防衛庁長官の下でまとめられた四次防原案(1970年)は三次防の倍額となる約5兆2,000億円を見積もり、野党と世論の強い反発を招いた。縮小されて発足した四次防も、石油危機後の景気後退で目標を達成できないまま終わる。デタント(東西緊張緩和)の時代に、「脅威から積み上げる」計画はもはや政治的にも財政的にも通らない――この手づまりの中から、四次防の次をどうするかという「ポスト四次防問題」が生じた2

打開策として庁内で浮上したのが、防衛局長・事務次官を務めた久保卓也の構想だった。久保は1971年のいわゆる「KB論文」以来、「脅威がどのようなものであれ、平時には必要最小限の防衛力を保有すれば足りる。緊張が高まったときに拡張(エクスパンド)すればよい」という考え方を説き続けた。脅威対抗論へのアンチテーゼ、いわゆる「脱脅威論」である2。ただし後述するように、51大綱がこの久保構想をそのまま採用したのかどうかは、近年の研究で問い直されている。

51大綱(1976年)― 「脅威」ではなく「空白」から出発する

1976年10月29日、三木内閣は「昭和52年度以降に係る防衛計画の大綱」を国防会議・閣議で決定した。世に言う51大綱である。日本が保有すべき防衛力について、本文はこう述べる1

防衛上必要な各種の機能を備え、後方支援体制を含めてその組織及び配備において均衡のとれた態勢を保有することを主眼とし、これをもって平時において十分な警戒態勢をとり得るとともに、限定的かつ小規模な侵略までの事態に有効に対処し得るものを目標とすることが最も適当であり……

「昭和52年度以降に係る防衛計画の大綱について」一.目的及び趣旨、1976年(昭和51年)10月29日 国防会議・閣議決定 出典

ここで注意したいのは、防衛力の目標が「ソ連の極東兵力に対抗できること」のような脅威側の変数では書かれていない、ということだ。書かれているのは「機能を備えていること」「均衡がとれていること」「警戒態勢がとれること」「限定的かつ小規模な侵略までは対処できること」――つまり、自分の側が備えるべき性質のリストである。情勢認識の面でも、「目的及び趣旨」の項に、国際情勢等が「当分の間、大きく変化しないという前提」が明記された。脅威に追随して防衛力を膨らませるのではなく、情勢が安定しているという前提の下で「必要な機能を欠けなく備えた、均衡のとれた最小限の態勢」を持つ。これが後に基盤的防衛力構想と呼ばれる考え方の中身である。

この方針は、別表で具体的な数字に翻訳された。自衛官定数18万人、平時地域配備する12個師団・2個混成団、4個護衛隊群、要撃戦闘機10個飛行隊。この別表の数字は「脅威が増えたら増やす」ための変数ではなく、「防衛上必要な各種の機能」を欠けなく備えるための定数として設計されている。だからこそ51大綱には、それまでの一次防〜四次防と違って達成期限がない。情勢が大きく変わらない限り維持すべき「水準」を示す文書だからである。5か年計画の代わりにこの新形式を編み出したこと自体が、ポスト四次防問題への実務的な回答だった2。なお同時期に決定された防衛費のGNP1%枠とあわせ、51大綱は以後の防衛力整備の「天井」としても機能していく。

では「基盤的」の語は本文のどこにあるのか。防衛の態勢を列挙した第四項の柱書に、保有する防衛力は「情勢に重要な変化が生じ、新たな防衛力の態勢が必要とされるに至ったときには、円滑にこれに移行し得るよう配意された基盤的なものとする」とある1。本文における「基盤的」は、この一箇所だけだ。いざというときに拡張するための土台=基盤、という久保構想の残響がここにある。防衛研究所の千々和泰明の研究によれば、「基盤的防衛力」という表現そのものは、大綱と同じ日に発表された坂田道太防衛庁長官の談話で使われたものであり、さらに、今日教科書的に引用される定義文が公式に登場するのは1992年度版防衛白書まで下るという2。閣議決定の「名前」と「定義」が、本体の後から追いかけてきたのである。

しかも、その中身の解釈は当初から割れていた。千々和が行政文書やオーラルヒストリーから再構成したところによれば、策定の実務では二つの立場がせめぎ合っていた。脅威と関係なく防衛力を導く「脱脅威論」と、小さくなった脅威(限定的かつ小規模な侵略)への対抗として防衛力を説明する「低脅威対抗論」である。最終的には「脅威と切り離して導いた防衛力を、後から脅威に照らして検証したら、限定小規模侵略に対処できると確認できた」という折衷の論理(検証論)で決着が図られたとされる2。制服組の反発は根強く、大綱決定から半年後の庁内会議でも、陸上幕僚長が、脅威を前提としない大綱は間違いだと考えている旨を公然と述べた記録が残る2。つまり51大綱は、脱脅威とも脅威対抗とも読める「懐の深さ」を意図的に残した文書であり、この両義性こそが、その後34年も生き延びた理由の一つと考えられている。

平成7年大綱(1995年)― 冷戦が終わっても、名前を得て生き残る

冷戦が終結し、ソ連が消滅した。前提が根本から変わった以上、防衛構想も変わる――と思いきや、1995年11月に決定された「平成8年度以降に係る防衛計画の大綱」(平成7年大綱、07大綱とも)は、逆の選択をした。興味深いことに、この大綱こそが「基盤的防衛力構想」の定義を初めて閣議決定の本文に書き込んだ文書である3

我が国に対する軍事的脅威に直接対抗するよりも、自らが力の空白となって我が国周辺地域における不安定要因とならないよう、独立国としての必要最小限の基盤的な防衛力を保有するという「基盤的防衛力構想」

「平成8年度以降に係る防衛計画の大綱」Ⅲ(防衛力の在り方)、1995年(平成7年)11月28日 安全保障会議・閣議決定 出典

「自らが力の空白となって不安定要因とならないよう」――日本が防衛力を持つ理由を、脅威への対抗ではなく「空白を作らないこと」に求める言い回しである。この定義文は1992年度版防衛白書の解説に由来し、それが3年後、閣議決定へ「昇格」した形になる2。平成7年大綱はこの考え方を「今後ともこれを基本的に踏襲していくことが適当である」とし、その上で防衛力の「合理化・効率化・コンパクト化」を進めると宣言した3。別表を見ると、陸上自衛隊の編成定数は18万人から16万人へ、戦車は約900両(51大綱時代の水準からの削減)へと縮小され、代わりに大規模災害対応や国際平和協力業務が自衛隊の役割として明記された。冷戦終結の「配当」を受け取りつつ、構想の骨格は維持する。あわせて読めば、平成7年大綱は基盤的防衛力構想に名前と定義を与えて延命させた大綱だったと言える。

16大綱(2004年)― 9.11後の「多機能弾力的」

次の転機は2001年の米同時多発テロと、北朝鮮の弾道ミサイル・工作船問題だった。2004年12月に決定された「平成17年度以降に係る防衛計画の大綱」(16大綱)は、新たな脅威や多様な事態への実効的な対応を掲げ、「多機能で弾力的な実効性のある防衛力」という新しい看板を掲げる。ただし基盤的防衛力構想については「有効な部分は継承しつつ」とし、決別までは踏み込まなかった4。この防衛力は「即応性、機動性、柔軟性及び多目的性を備え、軍事技術水準の動向を踏まえた高度の技術力と情報能力に支えられた」ものと説明された。後で見るように、この性質のリストは次の「動的防衛力」にほぼそのまま引き継がれる。

16大綱の時代に実際に起きた変化としては、弾道ミサイル防衛(BMD)の本格導入と、テロ・ゲリラや特殊部隊による攻撃への対処が防衛力の役割として前面に出たことが大きい。「本格的な侵略事態」への備えは可能性の低下を理由に縮減される一方、「新たな脅威や多様な事態」という表現が防衛力整備を駆動するようになった。基盤的防衛力構想という看板は残したまま、実質は「何に備えるか」のリストがすでに書き換わり始めていた時期、と位置づけられるだろう。

22大綱(2010年)― 34年目の決別、「動的防衛力」

基盤的防衛力構想との明示的な決別は、2010年12月、民主党・菅直人内閣の「平成23年度以降に係る防衛計画の大綱」(22大綱)で訪れた。22大綱は、今後の防衛力について「防衛力の存在自体による抑止効果を重視した、従来の『基盤的防衛力構想』によることなく」構築すると明記し、「動的防衛力」を打ち出した5。防衛力は存在しているだけでは抑止にならない。警戒監視や訓練・演習といった「運用」を平素から高い水準で回し続け、意思と能力を目に見える形で示すことで初めて抑止が機能する――量から運用へ、静から動へ、という発想の転換である。背景には、2008年ごろから顕著になった中国海軍の外洋進出と、南西諸島方面の「動的な」緊張があった。

ただし、研究者の見方は「劇的な断絶」一色ではない。参議院調査室の解説は、動的防衛力の説明が16大綱の「即応性、機動性、柔軟性及び多目的性」に「持続性」を加えただけの構成であることを指摘し、「全く新しい概念ではなく、前大綱の考え方を少し発展させたものとも言えよう」と評している4。一方で、防衛研究所の高橋杉雄のように、22大綱を「基盤的防衛力構想からの脱却」という戦後防衛政策の画期として位置づける議論もある6。名前の交代を重く見るか、中身の連続を重く見るか。防衛構想の「改訂」をどう評価するかは、この後の大綱でも繰り返し問われることになる。

海岸で訓練する陸上自衛隊員と米海兵隊員
米カリフォルニア州キャンプ・ペンドルトンで、米海兵隊との共同訓練に臨む陸上自衛隊員(2014年2月)。25大綱は「本格的な水陸両用作戦能力」の新規整備を明記し、2018年の水陸機動団新編につながった。画像:米海兵隊 Sgt. Jamean Berry撮影/パブリックドメイン(Wikimedia Commons)。

25大綱(2013年)― 南西へ、統合へ、「統合機動防衛力」

22大綱の寿命はわずか3年だった。2012年の政権交代を経て、第二次安倍内閣は2013年12月、日本初の国家安全保障戦略とセットで「平成26年度以降に係る防衛計画の大綱」(25大綱)を決定する。掲げられたのは「統合機動防衛力」。動的防衛力の運用重視を引き継ぎつつ、「幅広い後方支援基盤の確立に配意しつつ、高度な技術力と情報・指揮通信能力に支えられ、ハード及びソフト両面における即応性、持続性、強靱性及び連接性も重視した統合機動防衛力を構築する」とした7。キーワードは「統合」と「機動」である。尖閣国有化(2012年)後の対中緊張を受け、島嶼部への攻撃対応が防衛力の役割の筆頭級に据えられ、「島嶼への侵攻があった場合には、これを奪回する」ことが明記された。

25大綱の別表は、この構想を部隊の形に翻訳した点で画期的だった。陸上自衛隊の作戦基本部隊は「機動師団」「機動旅団」へと改編され、「1個水陸機動団」の保持が初めて書き込まれた。地域に張り付いて侵攻を待ち受ける冷戦型の配置から、事態が起きた場所へ全国から駆けつける機動運用への転換である。一方で「主に冷戦期に想定されていた大規模な陸上兵力を動員した着上陸侵攻のような侵略事態への備え」は、知見の維持・継承に必要な最小限に限るとされ、戦車は約300両まで削減する方針が示された7。51大綱の別表が戦車の集中する北海道重視の配置を反映していたことを思えば、40年間の重心移動――北から南西へ――が、別表の数字にそのまま刻まれている。

30大綱(2018年)― 領域の拡張、「多次元統合防衛力」

2018年12月の「平成31年度以降に係る防衛計画の大綱」(30大綱)は、防衛力の定義を空間的に拡張した。宇宙・サイバー・電磁波。陸海空という伝統的な領域の外側で優劣が決まりかねない戦闘様相の変化を受け、30大綱は次のように宣言する8

統合運用による機動的・持続的な活動を行い得るものとするという、前大綱に基づく統合機動防衛力の方向性を深化させつつ、宇宙・サイバー・電磁波を含む全ての領域における能力を有機的に融合し、平時から有事までのあらゆる段階における柔軟かつ戦略的な活動の常時継続的な実施を可能とする、真に実効的な防衛力として、多次元統合防衛力を構築していく。

「平成31年度以降に係る防衛計画の大綱」Ⅲ-1(2)イ、2018年(平成30年)12月18日 国家安全保障会議・閣議決定 出典

ここで初めて「領域横断(クロス・ドメイン)作戦」が防衛力構想の中心概念となった。個別の領域で劣勢でも、全領域の能力を組み合わせて克服する。この発想は、米軍が同時期に発展させていたマルチドメイン作戦(MDO)と明らかに響き合っている(米側の系譜は「米陸軍ドクトリンの半世紀」で扱った)。組織面でも、宇宙領域専門部隊やサイバー防衛部隊の保持が別表に明記され、護衛艦「いずも」型からのSTOVL機運用に道を開く記述が盛り込まれるなど、30大綱は「何を持つか」の面でも従来の枠を大きく踏み越えた。

国家防衛戦略(2022年)― 大綱の終焉と「脅威」への回帰

そして2022年12月16日、岸田内閣はいわゆる安保三文書を決定し、「国家防衛戦略」が「1976年以降6回策定してきた」防衛計画の大綱に代わる文書として登場した9。46年続いた「大綱」という形式そのものの廃止である。注目すべきは、国家防衛戦略が自らの前史を総括した次のくだりだ。

1976年の「防衛計画の大綱について」……策定以来、我が国が防衛力を保持する意義は、特定の脅威に対抗するというよりも、我が国自らが力の空白となって我が国周辺地域における不安定要因とならないことにあるとされてきた。

「国家防衛戦略」Ⅲ 我が国の防衛の基本方針、2022年(令和4年)12月16日 国家安全保障会議・閣議決定 出典

政府自身が、半世紀の防衛力整備を「脱脅威」の系譜として総括した上で、これからは違うと宣言する。国家防衛戦略が掲げたのは「相手の能力と新しい戦い方に着目した防衛力の抜本的強化」である9。「相手の能力に着目」――これは、仮想敵の戦力から所要を導いた一次防〜四次防の発想、すなわち脅威対抗論への、用語を変えた回帰と読むことができる。ロシアによるウクライナ侵略を目の当たりにし、「脅威は能力と意思の組み合わせで顕在化するところ、意思を外部から正確に把握することには困難が伴う」以上、把握可能な「能力」に自らの防衛力を合わせるほかない、というのが文書自身の論理だ。スタンド・オフ防衛能力、反撃能力の保有、2027年度までの防衛力の抜本的強化と、その中身は50年前の「均衡のとれた最小限の態勢」からあまりに遠い。千々和の論文タイトルを借りれば、「未完の脱脅威論」は2022年に正式に幕を下ろした、と言えるのかもしれない2

50年を一望する ― 呼び名・論理・背景

ここまでの変遷を一枚の表に整理しておこう。防衛力の「呼び名」の交代は、単なるスローガンの更新ではなく、「何を基準に防衛力の大きさと形を決めるか」という決定原理の交代である。

文書決定防衛力の呼び名決定原理を一言でいえば主な背景
51大綱1976年10月(基盤的防衛力構想)※名称は長官談話・白書で定着脅威からではなく「機能の均衡」と「空白を作らない」ことから導くデタント、四次防の頓挫、GNP1%枠
平成7年大綱1995年11月基盤的防衛力構想(本文に定義を明記し「基本的に踏襲」)骨格は維持しつつ合理化・効率化・コンパクト化冷戦終結、湾岸戦争、PKO開始
16大綱2004年12月多機能で弾力的な実効性のある防衛力(「有効な部分は継承」)新たな脅威・多様な事態への実効的対応9.11テロ、北朝鮮の核・ミサイル
22大綱2010年12月動的防衛力(「基盤的防衛力構想によることなく」)存在から運用へ。平素の活動量で抑止する中国海軍の外洋進出、南西方面の緊張
25大綱2013年12月統合機動防衛力統合運用と機動展開。島嶼防衛と奪回を明記尖閣国有化後の対中緊張、国家安全保障戦略
30大綱2018年12月多次元統合防衛力宇宙・サイバー・電磁波を含む領域横断作戦新領域の戦闘様相、A2/AD、ハイブリッド戦
国家防衛戦略2022年12月(大綱を廃止)相手の能力と新しい戦い方に着目した防衛力脅威対抗への回帰。反撃能力・抜本的強化ウクライナ侵略、台湾海峡、ミサイル脅威
TIMELINE ― 日本の防衛構想50年
1957
「国防の基本方針」閣議決定。以後、一次防(3か年)〜四次防の期限つき整備計画方式で防衛力を整備(対象は1976年度まで)。
1970-72
四次防原案(中曽根構想)が世論の反発で縮小。「脅威から積み上げる」所要防衛力方式が行きづまる。
1971-74
久保卓也がKB論文などで「脱脅威論」を提唱。庁内では「常備すべき防衛力」など複数の構想が競合。
1976
51大綱決定。「限定的かつ小規模な侵略」への独力対処を明記。「基盤的防衛力」の名は長官談話で登場。
1995
平成7年大綱。冷戦後も構想を「基本的に踏襲」、本文に定義を初めて明記。合理化・効率化・コンパクト化。
2004
16大綱。「多機能で弾力的な実効性のある防衛力」。基盤的防衛力構想の「有効な部分は継承」。
2010
22大綱。「基盤的防衛力構想によることなく」動的防衛力を構築。34年目の明示的決別。
2013
25大綱。統合機動防衛力。水陸機動団・機動師団を別表に明記し、南西シフトを部隊の形に。
2018
30大綱。多次元統合防衛力。宇宙・サイバー・電磁波の「領域横断作戦」が構想の中心に。
2022
国家防衛戦略。大綱を廃止し、「相手の能力と新しい戦い方に着目した防衛力」へ。反撃能力の保有を決定。

読みどころ ― 「玉虫色」は欠陥か、知恵か

50年分の原文を並べて読むと、いくつかのことが見えてくる。

第一に、防衛構想の「名前」と「中身」は、しばしば別の速度で動く。基盤的防衛力構想は本文に名前がないまま34年間参照され続け、動的防衛力は名前こそ新しいが性質のリストは前大綱とほぼ同じだった。逆に平成7年大綱は、名前の上では何も変えていないのに、定義の明文化という決定的な操作をしている。政策文書を読むときは、キャッチフレーズの交代よりも、防衛力を導く「決定原理」がどの文で書かれているかに注目したほうがよい。本稿が各文書の定義文をそのまま引用してきたのは、そのためである。

第二に、51大綱の両義性――脱脅威とも低脅威対抗とも読める曖昧さ――は、欠陥であると同時に知恵でもあった。千々和の研究が示すように、この構想は激しい庁内対立の妥協の産物であり、だからこそ解釈の幅を残し、冷戦末期の防衛力増強期にも、冷戦後の削減期にも、同じ看板の下で正反対の政策を支えることができた2。教範やドクトリンの世界では、曖昧さは一般に悪とされる。だが国家レベルの防衛構想では、政治的合意を保つための戦略的曖昧さが機能する場合がある、という見方も成り立つだろう。もっとも、その曖昧さが概念の混乱や誤解を生んできたことも、また事実として指摘されている2

第三に、2022年の転換の大きさである。防衛力の決め方が「自分の側の原理」から「相手の能力」へ移ったことは、予算規模や装備品目の変化以上に本質的な変化だと筆者は考える。脅威対抗論は、脅威の増大に防衛力が追随する構造を内蔵している。かつて四次防がそうであったように、この方式は財政と世論という制約に必ずぶつかる。国家防衛戦略が掲げた2027年度目標のその先で、「相手の能力に着目した防衛力」がどのように持続可能性を確保していくのか――50年前に日本が一度ぶつかった問いに、もう一度向き合うことになるのかもしれない。もとより本稿の整理は公開文書と先行研究に基づくものであり、評価にわたる部分は筆者の見立てとして、幅をもって受け取っていただきたい。

自衛隊のドクトリンがこの間、米軍の影響と日本独自の事情の間でどう形成されてきたかは、研究論文「陸上自衛隊ドクトリンの日米折衷」で詳しく論じた。また、防衛構想を支える理論的な土台である「抑止」概念については「抑止とは何か」を、旧軍の教範体系との対比は「旧日本陸軍の教範体系」を併せてお読みいただきたい。

脚注・参考文献

  1. 「昭和52年度以降に係る防衛計画の大綱について」昭和51年10月29日 国防会議決定・閣議決定(内閣官房掲載). https://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/taikou/6_52boueikeikaku_taikou.pdf
  2. 千々和泰明「未完の『脱脅威論』―基盤的防衛力構想再考―」『防衛研究所紀要』第18巻第1号, 2015年11月, 131-148頁. https://www.nids.mod.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j18_1_6.pdf(「基盤的防衛力」の語が長官談話由来であること、定義文の初出が1992年度版防衛白書であること、脱脅威論・低脅威対抗論・検証論の経緯、栗栖陸上幕僚長発言の記録を含む)
  3. 「平成8年度以降に係る防衛計画の大綱」平成7年11月28日 安全保障会議・閣議決定(内閣官房掲載). https://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/taikou/13_08boueikeikaku_taikou.pdf
  4. 岡留康文・今井和昌「基盤的防衛力構想から動的防衛力へ―新防衛大綱、新中期防、23年度防衛予算の概要―」『立法と調査』No.313, 参議院事務局, 2011年2月. https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2011pdf/20110201062.pdf
  5. 「平成23年度以降に係る防衛計画の大綱について」平成22年12月17日 安全保障会議・閣議決定(防衛白書資料掲載). http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2011/2011/html/ns220000.html
  6. 高橋杉雄「『基盤的防衛力構想』からの脱却」『国際安全保障』第44巻第3号, 2016年. https://www.jstage.jst.go.jp/article/kokusaianzenhosho/44/3/44_54/_pdf
  7. 「平成26年度以降に係る防衛計画の大綱」平成25年12月17日 国家安全保障会議・閣議決定(内閣官房掲載). https://www.cas.go.jp/jp/siryou/131217anzenhoshou/ndpg-j.pdf
  8. 「平成31年度以降に係る防衛計画の大綱」平成30年12月18日 国家安全保障会議・閣議決定(内閣官房掲載). https://www.cas.go.jp/jp/siryou/pdf/h31boueikeikaku.pdf
  9. 「国家防衛戦略」令和4年12月16日 国家安全保障会議・閣議決定, 防衛省. https://www.mod.go.jp/j/policy/agenda/guideline/strategy/pdf/strategy.pdf
  10. 千々和泰明「『51大綱』における防衛構想と自衛隊」『戦史研究年報』防衛研究所, 2017年. https://www.nids.mod.go.jp/publication/senshi/pdf/201703/04.pdf

※ 引用はいずれも内閣官房・防衛省が公開する閣議決定等の本文PDF・HTMLから原文どおり抜粋した(省略は「……」で示した)。22大綱(2010年)のみ本文の直接確認は防衛白書資料掲載のHTML版によっており、動的防衛力の定義文の引用・整理は参議院調査室資料(脚注4)の記載に基づく。16大綱(2004年)の本文引用も同様に脚注4によった。基盤的防衛力構想の導入過程に関する記述は千々和論文(脚注2・10)に依拠しており、関係者証言に基づく部分には解釈の幅がありうる。

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この記事を書いた人
河野 通(かわの とおる/Veruhu)

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